「 利潤 」が「 未来の費用 」としては十分でない経済は、急速に貧しくなりつつある経済である 」とドラッカーはいっています。

 「 われわれが通常 」「 利潤 」と呼ぶものは、「 ちょうど労働者の賃金とか原料や素材の代価とまったく同じコストにほかならないからである 」とドラッカーはいっています。

 「 過去のコストと未来のコストの唯一の相違は、前者は計算しうるものであるのに対し、後者はどうやら見積りができる程度のものであろう 」ということです。

 しかし「 利潤 」が「 未来の費用 」としては十分でない経済は、「 急速に貧しくなりつつある経済である 」とドラッカーは( 1974年刊「「マネジメント 」)でいっています。

 その経済の中では、「 働くものにとって仕事はますます減り、劣悪なものとなり、少なく支払われるようになる 」というのです。

 さらに、「 社会の非物的、非経済的価値と満足を示す社会的・政治的総経費は、ますますだれによっても負担されえなくなるで 」あろうというのです。

 「 以上述べた事柄が今日(1974年記述:筆者)ほど重視され強調されねばならない時代は 」ありません。「 いま(1974年:筆者)やわれわれは巨大な資本投下の必要性に迫られてい 」ます。「 環境危機やエネルギー危機の克服は、まさにそのことを必要と 」しているのです。

 また「 知識労働者の大量出現に対応して、彼らのために新しい仕事を確保するためにも巨大な資本投下が必要となる 」ともいっています。

(P.F.ドラッカー「 マネジメント 」『 課題、責任、実践 』上巻ダイヤモンド社刊(1974年3月翻訳初版の日本語版への序文より)